望遠鏡が捉える最古の光は、いまやおよそ465億光年の彼方から届いています。けれどそれは「見える範囲の果て」であって、宇宙そのものの果てではありません。空間は無限に続くのか、果てのないまま有限なのか——観測と数学が正面からぶつかる、いちばん大きな問いです。
「宇宙の果て」は、見えている範囲の果てではない
子どもの頃、「宇宙の果てはどうなっているの」と誰かに聞いたことはないでしょうか。壁があるなら、その向こうには何があるのか。何もないなら、「何もない」はどこまで続くのか。大人になったいまも、この問いに落ち着いて答えられる人はほとんどいません。
現代の宇宙論は、この問いの半分にはかなり正確な答えを持っています。私たちが観測できる範囲には、はっきりした限界があります。宇宙の誕生からおよそ138億年。光の速さは有限なので、それより昔から届く光はありません。しかも宇宙は膨張を続けているため、原理的に信号が届きうるいちばん遠い場所は、現在の距離に直すとおよそ465億光年の彼方まで遠ざかったと計算されています。半径465億光年の球——これが「観測可能な宇宙」です。
ただしこれは、見えている範囲の果てにすぎません。船から見える水平線が海の終わりではないように、観測の地平線は宇宙の縁ではないのです。その先で、空間は無限に続くのか。それともどこかで終わるのか。本当の問題はここから始まります。
果てがないのに有限——空間そのものが曲がるという答え
「終わるなら壁があるはずだ。壁の向こうにも何かあるはずだ」。この直感は強力ですが、現代の幾何学は第三の選択肢を知っています。果てがないまま有限、という空間です。
手がかりは足元にあります。地球の表面積は有限ですが、どれだけ歩いても縁から落ちることはなく、まっすぐ進み続ければ出発点に戻ってきます。二次元の面として見た地球表面は、「有限だが果てのない」空間です。これを一次元引き上げて、三次元空間そのものが同じように閉じていると考えることができます。1917年、アインシュタインは一般相対性理論を宇宙全体に初めて適用した論文で、まさにこの形の宇宙——三次元球面として閉じた、有限で縁のない宇宙——を提案しました。空間そのものが曲がりうるという理論があってはじめて、「果てのない有限な宇宙」は空想ではなく物理の仮説になったわけです。
閉じ方は球面だけではありません。ロールプレイングゲームの世界地図がよい例です。東の端を越えると西の端から現れる、あの平らなのにつながっている地図。数学ではトーラスと呼ばれる、ドーナツの表面と同じ構造です。その三次元版である「三次元トーラス」なら、空間はどこも平坦なまま全体は有限で、宇宙船でまっすぐ進み続ければいつか出発点に帰ってくる。曲がっていなくても、果てのない有限宇宙は作れます。
観測は「限りなく平坦」と言う。それは「無限」を意味するのか
では実際の宇宙はどちらなのか。空間の曲がり具合——曲率——は観測で測れます。宇宙最古の光であるマイクロ波背景放射に刻まれた斑模様の見かけの大きさが、光の通ってきた空間の曲率で変わるためです。欧州宇宙機関のプランク衛星による最終結果(2018年)は、他の観測と組み合わせて、曲率のパラメータを0.001±0.002と見積もりました。誤差の範囲でゼロ。つまり宇宙は、測れる限りどこまでも平坦です。
平坦で、どの場所も同じ性質を持ち、先ほどのトーラスのような貼り合わせもない——そう仮定すると、数学的な帰結はひとつです。空間は無限に続き、恒星や銀河も無限に存在することになります。標準的な宇宙論のいちばん素朴な読み方は、この文字どおり無限の宇宙です。
しかしここに、数学と観測の噛み合わない場所があります。観測が示せるのは「曲率はゼロに近い」ことまでで、「厳密にゼロ」であることは、精度をどれだけ上げても原理的に証明できません。測定には必ず誤差があり、その誤差の中には「ごくわずかに曲がった有限の宇宙」がいつまでも残るからです。一方、曲率がはっきり正だと測れれば、宇宙が閉じて有限である可能性を観測が支持することはありえます。有限は原理的に確かめうるのに、無限は決して確かめられない。答えの候補どうしで検証のしやすさが非対称という、奇妙な構造がこの問いには組み込まれています。
しかも決着はまだ揺れています。2019年には、プランク衛星が測った背景放射のスペクトルを単独で解析すると閉じた宇宙のほうが99%以上の信頼水準で好まれる、とする論文が『ネイチャー・アストロノミー』誌に発表され、論争になりました。他の観測と合わせれば平坦に戻るものの、データの内部にきしみがあること自体は広く認められています。
宇宙の形を、本気で「検索」した人たちがいる
有限宇宙は、空想ではなく検証可能な仮説として真剣に追跡されてきました。
2003年、NASAの探査機WMAPが作ったマイクロ波背景放射の全天地図に、奇妙な特徴が確認されます。空の60度を超える大きな角度では、温度のゆらぎの相関がほとんど消えていたのです。ジャン=ピエール・ルミネらの研究チームは同年、『ネイチャー』誌で大胆な説明を提案しました。宇宙が、正十二面体の向かい合う面どうしを貼り合わせた「ポアンカレ十二面体空間」という有限の空間だとすれば、大きすぎる波長のゆらぎはそもそも宇宙に入りきらないため、大角度の相関が消えることを自然に説明できる、というのです。
この仮説には、白黒のつく予言が伴っていました。宇宙が観測可能な範囲より小さい有限空間なら、同じ場所から出た光が複数の経路で地球に届きます。すると背景放射の空のなかに、同じ温度パターンを持つ円のペアが現れるはずです。合わせ鏡の部屋で自分の姿が何人も見えるのと同じ理屈です。
ニール・コーニッシュやデイヴィッド・スパーゲルらのチームは、WMAPの全天データからこの「マッチする円」をしらみつぶしに探しました。結果は、該当なし。2004年に発表された論文は、半径25度を超えるマッチした円は見つからず、この不検出は差し渡し約24ギガパーセク——およそ780億光年——より小さい繰り返し構造を持つ宇宙を排除する、と結論しています。プランク衛星のデータで偏光まで使った2015年の解析でも、観測可能な宇宙に収まる有限トポロジーの証拠は見つかりませんでした。ただしこれは「宇宙は無限」の証明ではありません。「有限だとしても、見えている範囲よりは大きい」ことの確認です。人類は、宇宙全体の大きさに観測にもとづく下限を付けたことになります。
観測できない領域を、科学は語ってよいのか
観測可能な宇宙の外側は、光がまだ届いていない領域です。宇宙膨張の加速がこのまま続くなら、その大部分からの光は今後も永遠に届かないと考えられています。それでも、この領域について語る理論はあります。宇宙初期の急膨張を説明するインフレーション理論のいくつかのモデルは、急膨張が場所ごとにばらばらに終わることで、私たちの宇宙のような領域が無数に生まれ続けると予言します。いわゆるマルチバース(多宇宙)です。
しかし、原理的に観測できないものについての理論を、科学と呼べるのでしょうか。2014年、宇宙論研究者のジョージ・エリスとジョセフ・シルクは『ネイチャー』誌への寄稿で、検証できない理論を「十分にエレガントだから」という理由で受け入れるなら科学の土台そのものが掘り崩される、と強く警告しました。一方、理論の検証可能な部分が次々に当たっているなら、観測の届かない帰結にも一定の信頼を置いてよい、と考える研究者もいます。宇宙の果てを追う問いは、その最前線で「科学に語れることの果て」という問いに合流します。
いま分かっていること、まだ分からないこと
分かっていることを並べます。観測可能な宇宙の半径はおよそ465億光年であること。その内側の空間は、測れる限り平坦であること。そして宇宙が有限だとしても、そのひと続きの空間は見えている範囲より大きいこと。ここまでは観測が保証します。
分かっていないのは、肝心の答えです。宇宙は無限なのか、有限なのか。現在の観測はどちらにも決めておらず、「無限」の側は原理的に確定のしようがありません。この問いが最後に突き当たるのは、望遠鏡の性能ではなく、観測にもとづく知識には何が確定できるのかという、知ることそのものの限界です。
今夜、空を見上げることがあったら思い出してみてください。見えている星々は宇宙のすべてではなく、「光が間に合った範囲」にすぎません。その先には、まだ誰の目にも届いていない空間が——ひょっとすると文字どおり無限に——広がっている。あるいはあなたの視線は、はるか彼方でぐるりと回り、いつか背中側から帰ってくるのかもしれない。自分がどちらの宇宙に住んでいるのか、人類はまだ知らないのです。