あなたには、細部までくっきり思い出せる場面があるはずです。あの日の光、誰かの表情、交わした言葉。ところが「はっきり覚えている」という感覚の強さは、その記憶が正しいことをほとんど保証してくれません。むしろ、鮮明さと正確さは別物だと分かってきています。
「はっきり覚えている」は、正しさの証拠にならない
あなたには、細部までくっきり思い出せる場面があるはずです。あの日の光、誰かの表情、交わした言葉。
ところが「はっきり覚えている」という感覚の強さは、その記憶が正しいことをほとんど保証してくれません。心理学者ナイサーとハーシュは、スペースシャトル・チャレンジャー号が爆発した翌日、106人の学生に「どこで事故を知ったか」を書かせました。2年半後、同じ人たちに同じ質問をすると、多くが最初とは食い違う答えを、しかも強い確信とともに語ったのです。鮮明さと正確さは、別の量でした。
では、私たちの記憶はどこまで信用できるのでしょうか。
記憶は「録画」なのか、「再構成」なのか
ひとつめの見方は、記憶を本質的に再構成的なものだと考えます。脳はビデオのように出来事を保存しているのではなく、思い出すたびに断片から筋書きを組み立て直している、というわけです。
この見方の源流にいるのが、心理学者バートレットです。彼は1932年、イギリスの参加者に「幽霊たちの戦い」という、彼らにとって異文化の物語を読ませ、時間をおいて何度も再生させました。すると物語は、思い出されるたびに参加者自身の常識に合わせて変形していきました。見慣れないカヌーはボートになり、腑に落ちない部分は削られ、話は自分の理解しやすい形に整えられていったのです。記憶は保存ではなく、その都度の作り直しだ——これが再構成説の核心です。
もうひとつの見方は、それでも記憶は日常を支えるには十分に機能していると強調します。私たちは通勤路を間違えず、友人の顔を取り違えず、昨日の約束を果たします。実験室では記憶の誤りを狙って引き出せますが、そのことは「記憶は当てにならない」の証明にはならない、という立場です。むしろ、記憶がある程度は歪むからこそ、似た経験をまとめ、細部を切り捨てて要点だけを残し、未来の判断に使い回せるのだ、とも言えます。歪みは故障ではなく、限られた脳で世界を扱うための仕様なのかもしれません。誤りが起きる条件を見極めることと、記憶全体を信用しないことは、まったく別の話だというわけです。
どちらも一理あります。争点は「記憶は正しいか間違いか」ではなく、どんな条件で、どのくらい、どの方向に歪むのかへと移ってきました。
質問の一語が、記憶を書き換える
再構成のありさまを鮮やかに見せたのが、心理学者ロフタスとパーマーの1974年の実験です。参加者に自動車事故の映像を見せ、車の速度を尋ねました。ただし質問の動詞だけを変えます。「激突したとき、車はどのくらいの速さでしたか」と聞かれた人は平均約41マイル、「ぶつかったとき」と聞かれた人は約34マイルと答えました。同じ映像なのに、たった一語で記憶された速度がずれたのです。さらに一週間後、「割れたガラスを見ましたか」と尋ねると、「激突した」と聞かされた群のほうが、実際には映像になかったガラスを見たと答える割合が高くなりました。あとから加えられた情報が、記憶そのものに紛れ込む——これは誤情報効果と呼ばれます。
ロフタスはのちに、もっと大胆な実験を行います。家族の協力を得て、参加者の子ども時代の本当の出来事に、ひとつだけ作り話を混ぜました。「幼いころ、ショッピングモールで迷子になったことがあったよね」。くり返し思い出そうとするうちに、約4分の1の参加者が、実際には起きていないその出来事を——服装や助けてくれた人の顔まで添えて——「思い出して」しまいました。2023年に行われた追試でも、およそ3分の1が同様の偽の記憶を報告しています。
そして近年、神経科学がこの現象に物理的な裏づけを与えつつあります。ネイダーらは2000年、いったん固定されたはずの記憶も、思い出した瞬間にいったん不安定になり、あらためて固定し直される——再固定化という過程を経ることを、ラットの実験で示しました。思い出すという行為そのものが、記憶を書き換えうる窓を開けている可能性があるのです。
いま分かっていること、分かっていないこと
記憶が完璧な録画ではなく、想起のたびに更新されうる可変的なものであること。ここまではよく確かめられています。この事実は、他人事ではありません。DNA鑑定で冤罪と判明した事件のおよそ7割に、目撃者の誤認が関わっていました。ロナルド・コットンという男性は、被害者が強い確信をもって「この人です」と指し示したために、10年以上を獄中で過ごし、のちにDNAで無実が証明されています。確信は、正しさの保証にならない。この教訓は、いま各国の取り調べや面通しの手続きを変えつつあります。
分かっていないのは、その先です。どの記憶が信頼でき、どの記憶が危ういのかを、当人が事後に見分ける手立てはまだありません。再固定化を利用してつらい記憶をやわらげる治療の可能性も探られていますが、記憶の「編集」がどこまで許されるのかは、科学だけでは決められない問いとして残っています。あなたの一番大切な思い出も、思い出すたびに少しずつ書き直されているのかもしれません。それでも、その記憶があなたを形づくっている——このねじれ自体が、記憶という現象のいちばん不思議なところです。