「資本主義ではない社会で暮らす自分」を三十秒、具体的に想像してみてください。頭に浮かぶのは旧ソ連の行列か、貨幣のない昔の村——未来を想像したはずなのに、出てくる絵はぜんぶ「過去」ではないでしょうか。この想像力の麻痺こそ、問いの入口です。
三十秒の思考実験
三十秒だけ、思考実験におつきあいください。「資本主義ではない社会で暮らす自分」を、できるだけ具体的に想像してみるのです。朝起きて、働き、必要なものを手に入れ、眠る。その一日は、どんな仕組みで回っているでしょうか。
やってみると、奇妙なことに気づきます。頭に浮かぶのは、旧ソ連の配給の行列か、貨幣のない昔の農村くらい。未来を想像しようとしているのに、出てくる絵はぜんぶ「過去」なのです。
文芸批評家フレドリック・ジェイムソンに帰される有名な言葉があります——「資本主義の終わりを想像するより、世界の終わりを想像するほうがたやすい」。批評家マーク・フィッシャーは2009年、この想像力の麻痺そのものに「資本主義リアリズム」という名前を与えました。代替はないという感覚が、証明されたわけでもないのに、時代の空気として定着している、と。
では本当に、ないのでしょうか。学問はこの問いに、意外なほど具体的な形で取り組んできました。
立場1: 代替は原理的に働かない
1920年、経済学者ルートヴィヒ・フォン・ミーゼスは「社会主義共同体における経済計算」という論文で、一見地味な、しかし破壊力のある問いを立てました。工場や機械がすべて国有になれば、それらに市場価格がつかなくなる。価格がなければ、無数にある生産方法のうちどれが資源の無駄で、どれが合理的なのか、計算のしようがない。社会主義は理念の問題である前に、計算の問題で行き詰まる、という主張です。
フリードリヒ・ハイエクは1945年の論文「社会における知識の利用」で、この議論をさらに深めます。経済を回すのに必要な知識は、「あの倉庫がいま空いている」「この機械には癖がある」といった、特定の時と場所についての断片として社会中に散らばっている。中央の計画者がそれをすべて集めることは、そもそもできない。市場価格とは、散らばった知識を要約して皆に伝える、一種の通信システムなのだ——。
この立場の現代版が、経済学者ブランコ・ミラノヴィッチの診断です。冷戦が終わったいま、地球上に残った経済システムは事実上、資本主義だけになった。現在の対立は「資本主義か、その外か」ではなく、アメリカ型のリベラル資本主義と中国型の政治的資本主義という、資本主義の変種どうしの争いだというのです。
立場2: 代替は設計できる
ただし計算問題には、当時から反論がありました。経済学者オスカル・ランゲらは1930年代に「市場社会主義」を提案します。生産手段は公有にしたまま、計画当局が価格をいったん仮置きし、品不足なら上げ、売れ残れば下げる。市場がやっている試行錯誤を、計画の側が模倣すればよい、という理屈です。この応酬は「社会主義経済計算論争」と呼ばれ、20世紀経済学の名勝負のひとつになりました。
そして、この論争には現代的な続きがあります。仮にミーゼスとハイエクに軍配が上がったとして、それは「当時の技術では」という話だったのか、「原理的に」だったのか。計算機の能力が桁違いに伸びたいま、計画の可能性を問い直す議論が再燃しています。
近年はさらに、気候危機を入口にした別系統の構想も存在感を増しました。資本主義に組み込まれた「成長への強制」こそが問題だとして、経済規模の拡大を前提にしない社会を構想する脱成長論です。日本でも、この立場に立つ斎藤幸平『人新世の「資本論」』が新書として異例の50万部を超え、この問いが過去のものでないことを示しました。
立場3: 代替は「外」ではなく、すでに内側にある
三つめの立場は、問いの立て方そのものをずらします。「資本主義か、それに代わる別のシステムか」という全取り替えの二択がそもそも誤りで、現実の経済はいつでも複数の原理の混合体だ、という見方です。
政治学者エリノア・オストロムは、牧草地、漁場、灌漑用水路といった共有資源(コモンズ)が世界各地でどう管理されてきたかを、徹底した現地調査で研究しました。教科書的には、共有資源は乱獲で崩壊するか、さもなくば国家管理か私有化しかない、とされていました。しかしオストロムが見つけたのは、国家でも市場でもなく、利用者たち自身が規則を作り、互いを監視し、違反を罰する自治の仕組みが、条件さえ揃えば何百年も持続するという事実です。この業績で彼女は2009年、女性として初めてノーベル経済学賞を受けています。
企業のかたちにも変種はあります。スペイン・バスク地方のモンドラゴンは、労働者自身が会社を所有する協同組合の連合体として1956年に始まり、いまでは数万人が働くスペイン有数の企業グループに育ちました。
この立場から見れば、「資本主義に代わるもの」は未来のどこかにある設計図ではなく、市場・国家・コモンズ・協同組合の配合比率を変えることとして、すでに手元にあるのかもしれません。
社会主義に、コンピュータをつないだ国
計算論争は、机の上では終わりませんでした。1971年、チリで、おそらく人類史上もっとも奇妙な経済実験が始まります。
選挙で社会主義政権を樹立したアジェンデ大統領のもと、チリ政府はイギリスの経営サイバネティクス研究者スタッフォード・ビーアを招きました。ビーアが設計したのは「サイバーシン計画」。国有化された工場をテレックス(当時の電信端末)のネットワークで結び、生産データを日々首都のコンピュータに集めて、経済の状態をほぼリアルタイムで把握しようという構想です。サンティアゴには、SF映画のような司令室まで作られました。壁のスクリーンに経済データが映り、7脚の回転椅子が並ぶ部屋です。
このシステムには、実戦の場面もありました。1972年10月、政権に反対するトラック業者の大規模ストライキが起きたとき、政府はこのテレックス網で全国の輸送を調整し、政府側関係者の回想によれば、使えるトラックが200台ほどしかない状況で物流をつなぎとめたと言われます。「散らばった知識は中央に集められない」というハイエクの挑戦状に、通信技術で応えようとした瞬間でした。
実験の結末を決めたのは、経済学ではありません。1973年9月の軍事クーデターでアジェンデ政権は倒れ、司令室は破壊されました。サイバーシンが本当に機能しえたのかは、確かめられないまま歴史に残されています。ただ、この物語が示すことがひとつあります。「資本主義の代替」は思想家の空想ではなく、国家を賭けて実際に試みられてきた、という事実です。
いま分かっていること、まだ分からないこと
20世紀のソ連型の中央計画経済が、豊かさの面でも自由の面でも資本主義に及ばなかったこと——ここには今日、立場を超えた広い合意があります。資本主義がひとつではなく、米国型、北欧型、中国型など、制度の組み合わせによって大きく異なる顔を持つことも、比較研究の蓄積が示してきました。そしてオストロムが示したように、市場でも国家でもない自治の仕組みが条件次第で長く機能することも、実証されています。
分からないのは、その先です。計算論争の決着は「当時の技術では」だったのか、「原理的に」だったのか。脱成長は気候危機への必然なのか、それとも別の危機を招く賭けなのか。協同組合やコモンズは、地域の成功例を超えて社会全体の規模に広げられるのか。そして何より、資本主義自身がこの二百年そうしてきたように姿を変え続けるなら、「代わるもの」と「変わった資本主義」の境目はどこに引けるのか。
この問いは、答えが出ていないというより、答えの判定基準がまだ合意されていない問いなのです。だからこそ、考える余地が私たち一人ひとりの側に残されています。