老いは、宇宙の物理法則ではありません。ほとんど老いない生き物が、現に存在します。だとすれば問いは裏返ります——なぜ私たちの体は、老いないようには作られなかったのか。自然選択は、老いを消せたはずなのに、消しませんでした。
老いは、当たり前ではない
年をとれば体は衰える。これを私たちは、雨が降れば地面が濡れるのと同じくらい、当然のことだと思っています。生きているものは老いて、いつか死ぬ。動かしようのない自然の掟のように。
けれども、生物学の目でこの掟を見つめると、奇妙な穴が空いていることに気づきます。老いは、エントロピーのような物理法則ではありません。ハダカデバネズミという小さな齧歯類は、同じ体格のマウスの約9倍にあたる28年以上を生き、その大半の期間、体の機能がほとんど衰えないことが報告されています。ヒドラや一部の樹木にいたっては、加齢に伴って死亡率が上がる兆候すら、はっきりとは見つかりません。
つまり「老いない体」は、生物にとって不可能な設計ではないのです。だとすれば、問いはひっくり返ります。なぜ私たちの体は、老いるように作られてしまったのか。自然選択は老いを消せたかもしれないのに、なぜ消さなかったのか。
なぜ選択は、老いを見逃したのか
手がかりは、20世紀半ばの進化生物学者たちが気づいたひとつの事実にあります。自然選択の「力」は、年齢とともに弱まっていく、というものです。
野生の動物の多くは、老いる前に、捕食・飢え・事故・感染で死にます。だから、若いうちに命や繁殖を損なう遺伝子は、選択によって容赦なく淘汰されます。ところが、繁殖を終えた後になって初めて悪さをする遺伝子は、その頃にはもう子孫を残し終えているため、選択の網の目をすり抜けてしまう。老年期は、進化にとって「見えにくい時間帯」なのです。この洞察を出発点に、老化をめぐる三つの有力な仮説が立てられてきました。どれも互いを排除するものではなく、しばしば重なり合います。
変異蓄積説は、生物学者ピーター・メダワーが1952年に示した考えです。老年期にだけ害をもたらす有害な変異は、選択の圧力がほとんど働かないため、消されずに集団の中に少しずつ溜まっていく。老化とは、その「掃除されなかったゴミ」が晩年に一斉に噴き出す現象だ、という見方です。
拮抗的多面発現説は、ジョージ・ウィリアムズが1957年に提唱しました。ひとつの遺伝子が複数の働きを持つとき、若い頃には繁殖や生存に有利で、しかし老年期には害になる——そんな「二枚舌」の遺伝子があったらどうなるか。若い頃の恩恵のほうが選択にとって重いので、その遺伝子は老年期の害ごと積極的に広まっていく。老いは、若さの活力と引き換えに支払わされる代償だ、という見立てです。
使い捨て体細胞説は、トーマス・カークウッドが1977年に『ネイチャー』誌で示しました。生き物が使えるエネルギーには限りがあります。そのエネルギーを、体の修理・維持に回すか、それとも繁殖に回すか。修理に注ぎ込みすぎれば子を残せず、繁殖に注ぎ込みすぎれば体が傷んでいく。進化はこの配分を、繁殖に有利なほうへ傾けてきた。だから体は完璧には維持されず、少しずつ損傷を溜めていく——生殖細胞という「本体」を残すために、体という「乗り物」は使い捨てにされる、という考えです。
どれかひとつが正解、とは今のところ言えません。有力なのは、これらが排他的な対立ではなく、同じ現象の別の断面を映しているのかもしれない、という見方です。
分裂の回数券と、老いない生き物
理論だけでは腑に落ちにくいこの話に、分子のレベルから具体的な像を与えたのが、細胞の研究でした。
1961年、レナード・ヘイフリックとポール・ムーアヘッドは、培養したヒトの正常な細胞が、無限に増え続けるわけではないことを示しました。細胞はおよそ40〜60回分裂すると、それ以上は分裂できなくなり、老化した状態に入る。この上限は今日「ヘイフリック限界」と呼ばれています。細胞は、あらかじめ枚数の決まった回数券を握って生まれてくるかのようなのです。
なぜ回数券は減るのか。鍵は、染色体の末端にあるテロメアという構造にありました。細胞が分裂して DNA を複製するたびに、その末端はわずかに削れて短くなっていきます。テロメアが限界まで短くなると、細胞はそれを「これ以上は危険」という警報として受け取り、分裂をやめて老化状態へ移る。エリザベス・ブラックバーン、キャロル・グライダー、ジャック・ショスタクの三人は、このテロメアの仕組みと、テロメアを修復する酵素テロメラーゼを解明した業績で、2009年のノーベル生理学・医学賞を受けました。
ここで冒頭のハダカデバネズミが効いてきます。彼らはがんにも老化にも著しく強く、体の機能を長年ほぼ一定に保ちます。ヒドラは、体を絶えず幹細胞で作り替え続けることで、老いを先送りにしているとされます。カリフォルニアの高地に立つブリッスルコーンパイン(イガゴヨウマツ)には、樹齢4800年を超える個体が知られています。老いの速さは、生き物ごとにまるで違う。老化は決められた運命ではなく、進化がそれぞれの生き方に合わせて調整してきた「設定値」なのだ——そう考えると、私たちの70年、80年という寿命もまた、ひとつの設定にすぎないことが見えてきます。
いま分かっていること、まだ分からないこと
老化が「加齢とともに自然選択の力が弱まる」という進化の論理の上に成り立っている、という大枠は、研究者のあいだでかなり共有されています。テロメアの短縮や細胞老化といった分子の仕組みも、老化を実際に動かす歯車のいくつかとして、着実に描き出されてきました。
分からないのは、そこから先です。三つの仮説のうち、どれがどの生き物で、どれだけの重みを持つのか。テロメアはあくまで数ある要因の一つで、老化の全体像はもっと入り組んでいます。無視できるほどしか老いない生き物たちが、進化の論理をどうやってかいくぐっているのかも、まだ完全には解けていません。そして最大の謎——老化は避けがたい損傷の蓄積なのか、それとも、ある程度まで「解除できるプログラム」なのか。その答え次第で、老いという現象の意味そのものが変わってきます。
私たちは、自分がなぜ老いるのかを、ようやく問いとして正しく立てられるようになったところです。答えの輪郭は見えはじめていますが、まだ地図の多くは白いままです。