1993年、NAFTAに署名したクリントンは「メキシコが豊かになれば不法移民は減る」と予測しました。ところが世界の移民の6割は中所得国の出身で、最貧国からではありません。豊かになるほど、人はいったん多く出ていく——移住をめぐる直感は、どこで折れるのでしょうか。
貧しいから出ていく、のではないらしい
1993年、北米自由貿易協定(NAFTA)の付属協定に署名したアメリカ大統領ビル・クリントンは、こう予測しました。メキシコに経済成長の恩恵が広がれば「より多くのメキシコ人が自国にとどまったまま子どもを養えるようになるので、不法移民は減る」。同じ発想は大西洋の向こう側にもあります。2005年、欧州委員会委員長ジョゼ・マヌエル・バローゾは、アフリカ向けの大型援助を移民問題の「根本原因と闘う開発協力」として打ち出しました。
理屈はまっすぐです。人は貧しさから逃れるために国境を越える。ならば貧しさを減らせば、越える人は減るはずだ。
ところが、世界の移民がどこから来ているかを見ると、この直線は途中で折れます。国連経済社会局の推計では、2020年に生まれた国の外で暮らしていた人は約2億8,100万人。世界人口のおよそ3.6%で、インドネシア一国の人口に相当します。意外なのはその内訳です。約1億7,700万人、全体の63%が中所得国の出身でした。低所得国から出た人は約3,700万人、13%にすぎません。世界でいちばん貧しい国が、いちばん多く人を送り出しているわけではないのです。
では、人はなぜ国境を越えるのでしょうか。
賃金の差が人を引っ張る
もっとも古く、もっとも素直な説明は経済学のものです。移住とは稼ぎの低い場所から高い場所への移動であり、将来の所得を買うための投資である。地理学者エルンスト・ゲオルク・ラヴェンシュタインが1880年代に「移住の法則」としてまとめて以来、この見方は移住研究の土台であり続けてきました。彼はそこで、遠くへ移る人ほど大きな経済の中心地を目指すこと、そして大きな町は自然増ではなく流入によって膨らむことを指摘しています。
証拠は、移民が母国へ送る送金という形で残ります。世界銀行の集計では、低・中所得国が2022年に受け取った送金は約6,260億ドル。2015年の時点でも、送金額4,410億ドルは政府開発援助(ODA)の1,310億ドルの3倍を超えていました。国家が国家に配る援助よりも、個人が家族に送る金のほうがずっと大きい。
落差そのものも巨大です。経済学者マイケル・クレメンスらの推計では、国際移住は労働者の所得をしばしば数百パーセント引き上げます。同じ人が、同じ技能のまま、線を一本またぐだけで。
弱点は、冒頭の数字がそのまま反論になっていることです。賃金の差が動機なら、賃金の最も低い国から最も多く人が出るはずです。そうはなっていません。
動くのは個人ではなく、関係のほう
1980年代、経済学者オデッド・スタークらは、人が見ているのは絶対的な豊かさではないと論じました。効くのは、まわりとの差——相対的な剥奪感です。平均所得が上がるとき、「これで十分」という基準はしばしばそれより速く上がる。社会全体が豊かになる過程で、取り残されたと感じる人はむしろ増える。その人たちが、比較の枠組みごと入れ替えるために動く、という説明です。
もう一つ、社会学者ダグラス・マッシーらは、移住を自分で自分を増やしていく過程だと考えました。累積的因果と呼ばれる見方です。一度の移住は、次の移住が決められる社会的な文脈そのものを変えてしまい、さらなる移動の確率を上げる——先に渡った同郷者が仕事の情報を送り、最初の寝床を貸し、渡航費を立て替えるからです。二人目の移住は一人目より安く、三人目はもっと安い。
この見方を支える証拠は、行き先の偏りです。アルジェリア、ブルキナファソ、エルサルバドル、グアテマラ、メキシコの出身者は、一つか、ごく少数の国に集中して住んでいます。一方、世界最大のインドのディアスポラは多くの国に散っている。距離と賃金の差だけからは、この違いは出てきません。効いているのは「誰がすでにそこにいるか」です。
偏りは国の単位では止まりません。移り住んだ人が向かうのは国というより都市の一区画で、19世紀から20世紀初頭のニューヨークでは、南イタリアの県ごとに別々の街区ができました。そもそも国境を越える人の多くは、その前に一度、村から街へ越えています。地理学者ウィルバー・ゼリンスキーは1971年に、近代化の始まりが農村から人を大きく揺さぶり出すと書きました。畑を離れた人の大半は国内の都市にとどまり、その一部が国外へ出ていきます。
越えられる線は、100年前に引かれた
三つめの立場は、移住する側ではなく、線を引く側を見ます。
第一次世界大戦の前のおよそ30年間、鉄道網の拡大と経済成長のなかで、ヨーロッパの旅券制度は事実上ゆるみきっていました。域内の移動に旅券は要らず、国境を越えるのは特別に面倒な手続きではなかったと記録されています。それを引き締めたのが戦争です。各国は安全保障のため、そして技能をもつ人材が流出するのを防ぐために国境での旅券検査を導入し、その措置は戦後も撤回されませんでした。1914年のイギリスの国籍・外国人身分法は、冊子の形と顔写真の添付を義務づけます。1920年には国際連盟がパリで旅券と税関手続きに関する会議を開き、冊子の共通様式が定まりました。いま私たちが持っている、あの本の形をしたパスポートは、この百年ほどの発明なのです。
「難民」という区分も同じくらい新しいものです。1951年の難民条約は、人種・宗教・国籍・特定の社会集団への帰属・政治的意見を理由に「迫害を受けるおそれがあるという十分に理由のある恐怖」を抱いて国籍国の外にいる人を、難民と定義しました。ただし当初の適用は「1951年1月1日より前に生じた事件」に限られ、対象をヨーロッパに限定する選択肢も各国に残されていました。枠が外れたのは1967年の議定書です。誰が保護されるべき移動で、誰がそうでないか——その線引き自体が、戦後の交渉の産物でした。
この立場から見ると、越える人の数を決めているのは、出ていく側の事情だけではありません。扉がどれだけ開いているかが、同じくらい効いている。
移住には、先に払う金が要る
ここまでの三つを一本につなぐ手がかりが、開発経済学から出ています。
経済学者マイケル・クレメンスは2014年の論考で、世界の国別データを並べ直しました。横軸に一人あたり所得、縦軸に人口比の移民ストック。すると、はっきりした山なりの曲線が現れます。購買力平価で年600ドル(今日のニジェールやエチオピア)から7,500ドル程度(アルバニアやコロンビア)までの範囲では、所得が上がるほど国外に出ている人の割合は増えるのです。関係が逆転するのは7,000〜8,000ドルのあたり。そこを超えて初めて、豊かになるほど人が出なくなります。
しかも、その差は広がってきました。20世紀後半のはじめ、この範囲の比較的豊かな国は、最も貧しい国より移民ストックが人口比で3ポイントほど高い程度でした。世紀末には、差は9ポイントになっています。
理由の一つは、身も蓋もないものです。移住には先払いが要る。旅券の取得費、渡航費、仲介業者への支払い、査証料、渡航先で通用する教育、そして着いてから仕事が見つかるまでの生活費。信用市場の乏しい国では、それを借りることもできません。所得が上がってまず起きるのは「出ていきたい人が減ること」ではなく、「出ていける人が増えること」なのです。
そして時間の問題があります。クレメンスの試算では、一人あたり所得500ドルの国が転換点の7,000ドルに届くには、年2%の実質成長を続けても133年かかります。2,000ドルの国でも63年。年3%という強気の想定でも、それぞれ89年と42年です。1960年から2000年にかけての平均的な国の成長率は、年1.8%でした。開発が移住を減らすという命題は、長い目で見れば間違っていないのかもしれません。ただしその時計は、政策の任期どころか、人ひとりの一生よりも長い。
クレメンス自身は慎重な但し書きを添えています。これは国どうしを横に並べた断面であって、どの国も必ずこの道をたどると証明したものではない、と。
いま分かっていること、まだ分からないこと
はっきりしているのは事実の側です。移民の多くは最貧国ではなく中所得国から来ている。所得と移住の関係は、国のレベルでは山なりの形をしている。移住先は賃金と距離だけでは決まらず、すでに誰がそこにいるかが強く効く。そして、その移動を仕分ける国境と難民の制度は、百年ほど前に作られた新しい道具である。
分かっていないのは、あの山なりの曲線を作っているものの内訳です。渡航費を払えるようになったからなのか、農村から人が引きはがされるからなのか、比べる相手が変わるからなのか、それとも受け入れ国の扉の開閉なのか。クレメンスが数え上げるだけで六系統の説明があり、どれがどれだけ効いているかは決着していません。受け入れる側で何が起きるか——賃金、住宅、社会の統合——の推定にも、研究によって幅があります。
一つだけ、意外なほど動かない数字があります。国際移民は絶対数では増え続けていますが、世界人口に占める割合は1990年以降おおむね3%前後にとどまっています。地球上の96%以上の人は、生まれた国で暮らし、そこで死んでいく。国境を越える人が例外的に多いのではなく、越えないことのほうが圧倒的に多いのです。だとすれば、本当に説明を要するのは、動いた数億人ではなく、動かなかった数十億人のほうかもしれません。あなたがいま、この国、この街にいるのは、選んだ結果でしょうか。それとも、選ばなかった結果でしょうか。