ザンビアのチンパンジーの群れで、一頭のメスが草の茎を耳に挿しました。何の役にも立たない仕草は仲間に広がり、彼女が死んだあとも残ります。これを文化と呼んでよいのか——動物行動学は半世紀、この線引きをめぐって争ってきました。

耳に草を挿したチンパンジー

2010年、ザンビアの保護区チンフンシで、研究者エドウィン・ファン・レーウェンは妙なものを見ました。ジュリーという名のメスのチンパンジーが、硬い草の茎を自分の耳に挿し、そのままにしているのです。毛づくろいのときも、遊ぶときも、休んでいるときも。

その草は、耳の中で何もしていません。虫を取るわけでも、かゆみを止めるわけでもない。ところが、この仕草は広がりました。研究チームは1年かけて4つの群れ・94頭を740時間撮影します。草を耳に挿す個体がいたのはジュリーの群れだけで、そこでは12頭中8頭。隣接する3群82頭では、たった1回しか観察されていません。最初に真似たのは息子のジャック。そしてジュリーが死んだあとも、数頭はこの仕草を続けていたと報告されています。

何の役にも立たない。特定の集団だけがやる。誰かから誰かへ伝わる。始めた個体が死んでも残る。——これを文化と呼ばないなら、私たちは何を文化と呼んでいるのでしょうか。それとも、草を耳に挿すことにその言葉を使ってしまったら、言葉のほうが壊れるのでしょうか。

広い定義——遺伝でも環境でもないなら、それは文化だ

一方の陣営は、文化を測れる形に切り分けます。遺伝でも生息環境でもなく、社会的な学習によって伝わり、集団ごとの違いとして現れる行動。これが広い定義です。

この立場を決定づけたのが、1999年にNatureに載った「Cultures in chimpanzees」でした。アンドリュー・ホワイトゥン、ジェーン・グドール、西田利貞、杉山幸丸ら9名が、7つの長期調査地に蓄積された合計151年分の観察を突き合わせます。すると、39の行動パターンが、ある群れでは日常的なのに別の群れでは完全に欠けていました。しかも、食物や材料の有無で説明がつくものは、あらかじめ除いてあります。組み合わせが群れごとに固有になる——それは人間の文化の特徴だと思われていたことでした。

この定義を採ると、証拠は霊長類の外にも広がります。シャーク湾のハンドウイルカが海綿を鼻先にかぶせて海底を探る技法は、2005年の遺伝子解析によれば、ほぼ一つの母系に沿って母から娘へ受け継がれていました。ザトウクジラの歌は、東オーストラリアからトンガ、仏領ポリネシア、エクアドルへと、数年単位で丸ごと置き換わりながら南太平洋を東へ渡っていきます。北米のノドジロシトドでは、2000年ごろカナダ西部に現れた「二連符で終わる歌」が20年で3,300km以上東へ広がり、旧来の三連符を押しのけました。

この定義の弱点は、証明が引き算だという点です。遺伝でもない、環境でもない、だから社会的学習だろう——消去法で残ったものを文化と呼んでいて、積極的な証拠ではありません。

狭い定義——積み上がらないものは文化ではない

もう一方の陣営は、線をはるかに厳しく引きます。文化と呼べるのは世代を越えて改良が積み上がるもの、つまり累積的文化進化だけだ、と。

2009年、クラウディオ・テニー、ヨゼップ・コール、マイケル・トマセロは、この積み上がりを「ラチェット効果」と呼びました。ラチェットは逆回転しない歯車です。人間の文化では誰かの改良が失われずに固定され、次の世代はその上から始められる。だから石斧から探査機まで来られた。ところがチンパンジーの伝統は、彼らの言う「潜在的な解の範囲」——一頭が一生のうちに自力でたどり着ける範囲——に収まって見える。仲間を見ることは「あの実は石で割れる」という結果に注意を向けさせるだけで、手順そのものを写し取ってはいない。教え、同調し、逸脱を罰する。この三つがそろうのは人間だけだ、という主張です。チンパンジーの道具が何十万年たっても目立って複雑にならなかったことが、強い論拠になります。

痛いのは、「一頭で再発明できたはずだ」を確かめる手段がないことです。できなかった証明はできません。そして2024年、Scienceに載った研究が反対側から光を当てました。4亜種にまたがるチンパンジー集団を、遺伝子に残る移住の痕跡と共有される文化的形質の両面からネットワークに描き直すと、単純な道具はどこでも独立に現れるのに、複雑な道具は群れ同士が実際に行き来した痕跡のある場所でだけ共有されていた。よそからもらって、その上に足している——限定的ながら積み上げは起きているのではないか、というわけです。

幸島で、砂を落とす動作が味つけに変わった

この論争にいちばん長い記録を提供してきたのは、日本の霊長類学です。

1948年、今西錦司・川村俊蔵・伊谷純一郎は、宮崎県の都井岬で半野生馬を調べていてニホンザルの群れに出くわします。彼らが始めた研究には二つの特徴がありました。長期に続けること。そして一頭ずつを見分けて名前をつけること——実験室のネズミのように番号で扱わないことです。同じ年の11月に幸島を訪れ、餌づけが成功したのは1952年でした。その1952年、今西は対話体の論文に、個体の経験が遺伝によらない回路で次の世代に伝わるならそれは文化と呼んでよい、と書いています。枠組みのほうが先にありました。

1953年9月、島で観察を続けていた三戸サツヱが、1歳半のメスがサツマイモを水で洗うのを見つけます。名前はイモといいました。

そこから何が起きたかは、河合雅雄が1965年にまとめた論文に数字で残っています。広がりは若い個体から始まりました。1958年の時点で、2〜7歳では19頭中15頭が洗っていたのに、おとなでは11頭中2頭。伝わる向きも普通と逆で、子から母へ、弟妹から兄姉へと上っていきます。

イモは1956年、4歳で二つめの発明をします。砂に混じった麦をひと粒ずつ拾うかわりに、砂ごとまとめて水に投げ込む。麦は浮き、砂は沈む。「麦の砂金採り」と呼ばれたこの技法は、1962年までに19頭に広がりました。ここで少し薄ら寒いのは、序列1位と2位のメス、エバとサンゴの振る舞いです。彼女たちはこの技法を自分では覚えず、やっている個体に近づいて追い払い、浮いてきた麦だけを食べました。新しい発明は、それを掠め取る戦略も一緒に生んだのです。

そして味です。1953年から54年、サルたちは小川の真水しか使いませんでした。ところが57年ごろから海水で洗う個体が増え、1961年12月の調査では、どの個体も真水と海水の両方を使ったうえで、条件が許すかぎり海水を選ぶようになっていました。動作も枝分かれします。砂をこすり落とすだけでなく、浸してはひと口かじり、また浸すという型が現れた。河合はこれを「味つけ」と解釈しています。砂を落とすために始まった行動が、塩をつけるための行動に育っていました。

それでも河合は、この一連を「文化」ではなく「プレカルチュア(前文化)」と呼びます。サルは教えない。逸脱を罰する仕組みもない。人間の文化は個人を縛るが、サルの慣習は縛らない——混ぜてはいけない、と。いちばん強い証拠を持っていた人たちが、いちばん慎重に言葉を選んでいました。

1992年には、ベネット・ゲイレフが正面から水を差します。芋洗いの広がりは遅すぎる。母親についていけば水辺に着き、そこに芋がある。イモを真似なくても自分で気づける。これは「環境の御膳立て」であって模倣ではない、と。

潮目が変わったのは、方法が追いついてからです。2014年、キャサリン・ホバイターらはウガンダのブドンゴ森林で、コケを噛んで水を吸わせる新しい道具が群れに現れる瞬間に居合わせました。誰が誰の使用を何回見たかを社会的なつながりの上で追うと、一回見るごとに、まだできない個体がその道具を使い始める確率はおよそ15倍になっていた。野外で、進行中に、伝播が測られたのです。

いま分かっていること、分かっていないこと

はっきりしたのは、社会的な学習が動物界に広く分布していること、そして遺伝でも環境でも説明できない集団差が実在することです。かつて逸話だったものが、いまは統計で測れる対象になりました。

決着していないのはその先です。それは積み上がるのか。積み上がらないなら文化ではないのか。そもそも「文化」という一語を、人間の宗教や法と、チンパンジーの耳の草の両方に使っていいのか——ここには、データでは片づかない言葉の取り合いが残っています。

面白いのは、この決着していない問いが、すでに実務に降りていることです。移動性の野生動物を守る国際条約(CMS)は2015年に動物文化と社会的学習の専門家グループを設け、決議11.23としてこれを扱ってきました。当初の中心は鯨類でしたが、近年の改訂で対象は鳥類・魚類・爬虫類を含む脊椎動物全体に広がっています。回遊ルートを知っている個体、採餌技法を知っている個体を失えば、頭数の減少として現れる前にその集団は脆くなる。動物に文化があるかは、いつのまにか「何を保護の単位とみなすか」という問いに変わっていました。

ジュリーの群れに話を戻します。草を耳に挿しても、何も良いことは起きません。それでも仲間は真似をし、彼女が死んでも残りました。私たちが文化と呼ぶものの中にも、説明のつかない仕草はいくらでもあります。あなたが誰かから受け取って、理由を聞かれても答えられない習慣を思い浮かべてみてください。それを文化と呼ぶかどうかの線は、たぶん動物との境界ではなく、あなたの手元のあたりを通っています。