地球規模の環境問題を、人類は一度だけ解決したことがあります。オゾン層です。では気候変動はなぜ、30年以上交渉を続けても止められないのでしょうか。悪役を探しても答えは出ません。誰も悪くないまま悪い結果へ向かう構造が、そこにあるからです。

人類が解決に成功した地球環境問題が、ひとつだけある

環境問題のニュースには、出口のない印象がつきまといます。けれど、あまり語られない事実がひとつあります。地球規模の環境問題を、人類は一度だけ、ほぼ解決しているのです。

オゾン層の破壊です。1987年に採択されたモントリオール議定書は、フロン類など約100種類の化学物質を対象に、生産の段階的な廃止を決めました。国連の科学評価パネルは2023年、規制対象物質のほぼ99パーセントの廃絶を確認し、オゾン層は2040年ごろまでに——最も傷の深い南極上空でも2066年ごろまでに——1980年の水準へ回復する見通しだと報告しています。国連史上初めて全加盟国が批准した条約でもあります。

一方の気候変動は、同じ「国際条約で解く」という道具立てを使いながら、正反対の経路をたどっています。エネルギー起源のCO2排出は2023年にも過去最高を更新し、2024年には観測史上初めて、世界の年平均気温が産業革命前より約1.55度高くなりました。同じ人類が、片方は解けて、片方は解けない。この差は、どこから来るのでしょうか。

立場1: 誰も悪くないのに、悪い結果になる

最初の説明は、これを「構造」の問題と見ます。1968年、生物学者ギャレット・ハーディンが科学誌『サイエンス』に発表した論文「共有地の悲劇」は、こんな寓話で知られています。誰でも牛を放せる共有の牧草地では、牛を1頭増やす利益は持ち主に集中し、草地が痩せる損失は全員に薄く分かれる。だから各人にとっては増やすことがつねに合理的で、全員が合理的にふるまった果てに、牧草地は失われる——。

大気は、この寓話の惑星版です。化石燃料を燃やす便益は、いま、その場所に集中します。損害は数十年遅れて、世界中に薄く広がります。しかも、ルール違反を罰する世界政府は存在しません。この見方の強みは、悪役なしで停滞を説明できることです。企業も国も生活者も、それぞれの持ち場で合理的に動いているだけで、排出は積み上がっていきます。

ただし、悲劇は宿命ではありません。政治学者エリノア・オストロムは、スイスの放牧地、日本の入会地、スペインの灌漑組織など各地の共有資源を実地に調べ、境界の明確さ、相互の監視、段階的な制裁といった条件がそろえば、共同体は政府にも私有化にも頼らず、共有地を何世紀も守れることを示しました。この業績で2009年、女性として初めてノーベル経済学賞を受けています。悲劇は起こりうるけれど、必然ではない。問題は、この成功の条件が顔の見えない80億人の規模でも再現できるのか、まだ誰も知らないことです。

立場2: 制度の設計を間違えていた

ふたつめの説明は、原因を条約の設計に求めます。1997年の京都議定書は、それまでの排出の大半に責任のある先進国だけに、法的拘束力のある削減義務を課しました。倫理としては筋が通っています。ところがこの設計は、政治的に持ちませんでした。アメリカ上院は採択に先立ち、「途上国が義務を負わない条約には同意しない」とする決議を95対0で可決します。全会一致——悪玉の話ではなく、構造の話なのです。アメリカは署名したものの批准せず、カナダも2011年に離脱を表明しました。

興味深いのは、残った国々が義務を守ったことです。第一約束期間に完全参加した36か国は、すべて目標を達成しました。それでも中国やインドを含む途上国に義務はなく、世界全体の排出は増え続けた。条約は守られたのに、問題は解決しなかったのです。

2015年のパリ協定は、この失敗を裏返して設計されました。削減目標の法的拘束力を捨てるかわりに、すべての国が自分で目標を掲げ、5年ごとに世界全体の進捗を棚卸しして、目標を引き上げていく。拘束力を手放して、参加を買ったのです。実際、参加国はほぼ全世界に広がりました。近年はEUが、規制の緩い国へ生産と排出が逃げる「炭素リーケージ」への対策として、輸入品にも炭素コストを課す国境調整(CBAM)を2026年から本格運用するなど、貿易のルールに気候規制を編み込む実験も始まっています。制度は失敗から学習し続けている——これがこの立場の強みです。弱点は、成果がまだ数字に表れきっていないこと。研究機関クライメート・アクション・トラッカーの試算では、現行政策のままなら今世紀末の気温上昇はおよそ2.6度に達します。

立場3: そもそも「何が解決か」に合意できていない

三つめの説明は、より根の深いところを指します。仮に全員が科学の事実に合意しても、「誰の負担で、どれくらい急ぐか」の答えは科学からは出てこない、という指摘です。

2006年、イギリス政府の委託でまとめられたスターン報告は、世界のGDPの1パーセント程度を対策に投じれば、将来の5〜20パーセントに相当する損害を避けられると論じました。これに経済学者ウィリアム・ノードハウス(2018年ノーベル経済学賞)が異を唱えたのが、有名な「割引率」論争です。争点はただ一点、遠い将来の損害を現在の価値にどう換算するかでした。スターンは「生まれる時代によって人の重みを差別しない」という倫理から、時間による割引をほぼゼロ(純粋時間選好率0.1パーセント)に置きました。ノードハウスは、市場の実質金利とかけ離れた割引率を使えば結論はいくらでも動く、と批判しました。どちらの計算も、計算としては正しい。違うのは倫理の前提です。気候対策のコスト論争は、経済学の顔をした、世代間の正義の論争でもあるのです。

空間の側にも、同じ非対称があります。排出してきた場所と、被害を受ける場所が違うのです。世界気象機関がまとめた報告では、アフリカでは1〜4度の温暖化で大陸のGDPが2.25〜12.12パーセント押し下げられると見積もられています。歴史的な排出がごくわずかな国々が、被害の最前線に立つ。2022年のCOP27で、脆弱な国々を支える「損失と損害」基金の設立がようやく合意されたのは、この不均衡が交渉の中心にせり出してきたからでした。

オゾン層は、なぜ例外になれたのか

冒頭の謎に戻ります。同じ地球規模の共有地問題なのに、なぜオゾン層だけが解けたのか。議定書を解剖すると、条件の重なりが見えてきます。

第一に、代替品がありました。1980年代半ば、米国のフロン生産の約半分を担っていた化学大手デュポンは、規制の流れが固まると5億ドルを投じて代替物質を開発します。新しい化合物は冷蔵庫やエアコンの中でフロンとほぼそのまま差し替えられ、議定書が廃止の期限をはっきり区切ったため、代替品には確実に市場が生まれました。規制が、ビジネスチャンスに変わったのです。第二に、プレーヤーが少なかった。フロンを作るのは世界でも少数の化学企業で、彼らにとってフロンは数ある製品のひとつにすぎません。手放しても、会社は残ります。第三に、被害が想像しやすかった。オゾン層の破壊は紫外線の増加、つまり皮膚がんという自分の身体の話に直結します。

気候変動では、この三つの条件がすべて裏返ります。化石燃料は特定の製品ではなく、電力、輸送、製鉄、農業と、文明の土台そのものに染み込んでいて、丸ごと差し替えられる「代替フロン」はまだありません。プレーヤーは少数の企業ではなく、すべての国の、すべての産業と生活です。そして被害は、時間的にも空間的にも遠い。気候変動が解けないのは人類が愚かだからではなく、オゾン層のほうが例外的に「解きやすい問題」だったから——そう考える研究者は少なくありません。

皮肉な事実をひとつ。フロン類は強力な温室効果ガスでもあったため、モントリオール議定書はこれまでにおよそ0.5度分の温暖化を防いだと推定されています。結果だけ見れば、最も成功した気候条約のひとつは、気候のための条約ではなかったのです。

いま分かっていること、まだ分からないこと

気候変動は、もう「知識が足りない」問題ではありません。原因の特定も、対策の選択肢も、費用の見積もりも、驚くほど細かく分かっています。排出は2023年時点でなお増えていますが、その伸びはクリーンエネルギーの拡大によって抑えられつつあります。2024年に単年で1.55度を超えたことも、10年単位でならした長期的な水準はおよそ1.3度であり、パリ協定の目標がすでに壊れたことを意味しません。

分かっていないのは、「拘束力のない約束を5年ごとに引き上げ続ける」という人類史上初の実験が、間に合う速さで機能するかどうかです。国境調整のように貿易と気候を連結する試みは、協力を広げるのか、それとも分断を深めるのか。そして、未来の世代と遠い国の人々の重みをどう数えるかという問いには、どれだけ観測を重ねても答えが出ません。そこから先は、どんな配分なら受け入れられるかという合意の問題だからです。

「なぜ解決できないのか」への答えは、おそらくこうまとめられます。これはひとつの問題ではなく、構造の問題と、制度の問題と、正義の問題が三層に重なったものだから。そしてその三層は、あなたが今日使った電気やガソリンの中にも、そのまま埋まっています。次に「交渉がまた難航」というニュースを見かけたら、テーブルの上で本当に割れているのは三層のどれなのか、少しだけ目を凝らしてみてください。