「此処より下に家を建てるな」——石碑の戒めを守った岩手の集落は、2011年の津波で家を一軒も失いませんでした。けれど、津波を誰よりも憶えていたはずの町も、ふたたび波に呑まれています。忘却だけでは説明できない都市の反復を、氾濫原と水の都と26車線の高速道路からたどります。
石碑の教えを守った村と、壁を信じた町
岩手県宮古市の姉吉という集落に、一本の石碑が立っています。刻まれているのは「高き住居は児孫の和楽、想へ惨禍の大津波」、そして「此処より下に家を建てるな」という一行です。この集落は1896年の明治三陸津波で住民78人のうち生き残りが2人という壊滅を経験し、1933年の昭和三陸津波でも100人以上を失いました。二度目の壊滅のあと、生き残った人々は集落を高台へ移し、海抜60メートルの地点にこの碑を建てます。2011年3月11日、東日本大震災の津波は姉吉の谷を38.9メートルの高さまで駆け上がり、石碑のわずか手前で止まりました。教えを守り続けた11世帯は、家を一軒も失いませんでした。
これが美談で終わらないのは、同じ三陸海岸に別の結末があるからです。田老地区は、津波を忘れてなどいませんでした。むしろ誰よりも憶えていたからこそ、海面からの高さ10メートル、総延長2.4キロにおよぶ防潮堤——「万里の長城」と呼ばれた壁を築いたのです。2011年、津波はその守りを破り、海側の防潮堤は約500メートルにわたって倒壊、地区は200人近い死者・行方不明者を出しました。
忘れた町が繰り返すのなら、話は単純です。しかし、憶えていた町も繰り返した。都市はなぜ、同じ失敗を繰り返すのでしょうか。
災害の記憶は、二世代しかもたない
最初の説明は、やはり忘却です。ただし、それは個人の不注意ではなく、測定できる社会現象として研究されています。
2019年、チェコの研究チームが「ネイチャー・コミュニケーションズ」誌に発表した研究は、ヴルタヴァ川流域に9世紀のあいだに築かれた1,293の集落の位置を、7回の極端な洪水の記録と突き合わせました。結果は明快です。大洪水のあとおよそ一世代のあいだ、新しい集落は川から離れた安全な場所に作られます。ところが二世代目に入ると警戒はゆるみ、集落はふたたび川辺へ降りていく。研究チームは、洪水の記憶は生き証人とともにあり、二世代のうちに消えると結論しました。
この見方の強みは、反復の周期を説明できることです。大災害の再来間隔が人間の寿命より長いとき、社会は構造的に「経験者がひとりもいない状態」で次の一撃を迎えることになります。弱点は、田老を説明できないことです。記憶が生きていて、ハザードマップが配られる現代でも、反復は止まっていません。忘却は反復のタイミングを説明しても、動機までは説明しないのです。
危険な土地は、便利な土地でもある
二つめの説明は、「失敗」という言葉そのものを疑います。人が氾濫原や海辺に戻るのは愚かだからではなく、そこが良い土地だからだ、という見方です。
氾濫原は平らで、水が近く、土が肥えています。港は海に面していなければ港になりません。世界の大都市の多くが水際に立つのは偶然ではなく、危険を生む条件と繁栄を生む条件が、しばしば同じものだからです。この視点を打ち立てたのが地理学者ギルバート・ホワイトでした。1945年に刊行された「洪水への人間の適応」と題する研究で、ホワイトは「洪水は神の御業だが、洪水による損失はおおむね人間の御業である」と書きます。被害の規模を決めるのは雨の量ではなく、人間がどこに何を建てたかだ、というのです。この系譜の研究はさらに、堤防の逆説を指摘してきました。防御施設は安心を生み、安心はその土地への投資と人口を呼び込み、防御が破られたときの被害をかえって育てる。「堤防効果」と呼ばれる現象です。この枠組みで見ると、田老の悲劇は例外ではなく、むしろ典型ということになります。
この立場の強みは、戻る人々を愚か者にしないことです。弱点は、選択の自由を前提にしすぎること。危険な低地に住むのが、便益を計算した人ではなく、そこしか選べなかった人であるとき、問題は計算ではなく分配の話に変わります。
得をする人と、損を引き受ける人が違う
三つめの説明は、個人の記憶でも計算でもなく、制度の構造に目を向けます。開発の利益は目の前の誰かに集中し、災害の損失は遠い将来の全員に薄く広がる。この非対称が残るかぎり、一人ひとりが賢くても、全体としては危険な選択が積み上がっていく、という見方です。
この立場を考えるうえで示唆的なのが、アメリカの公営住宅プルーイット・アイゴーの顛末です。セントルイスに建てられた巨大団地は、荒廃の末に1972年から爆破解体され、建築評論家チャールズ・ジェンクスが「近代建築が死んだ日」と評したことで、設計思想の失敗の象徴になりました。ところが1991年、建築史研究者キャサリン・ブリストルは論文「プルーイット・アイゴー神話」で、この物語のほうを批判します。記録を追うと、団地を追い詰めていたのは、維持費を家賃収入だけでまかなわせる制度設計、セントルイス自体の急激な人口減少、そして人種隔離の圧力でした。設計者を戦犯にする物語は、制度の失敗から目をそらす装置として機能してきた、というのです。原因の診断を誤れば、その制度は温存され、失敗は形を変えて繰り返されます。
制度説の強みは、「知っていても繰り返す」ことを説明できる点です。弱点は、何にでも当てはまってしまう危うさと、では、どういう制度なら学習できるのかをまだ言い当てられないことです。
成功を支えた仕組みが、失敗を運んでくる
三つの立場が交差する場所を、考古学が示しています。カンボジアのアンコールです。
クメール王朝の都アンコールは、巨大な貯水池と水路を網の目のように張りめぐらせた水の都でした。この水網が灌漑と生活用水と洪水制御を一手に支え、王朝の繁栄を支えます。2010年、ブレンダン・バックリーらの研究チームは、ベトナムの高地に生きる希少なヒノキ科の樹木の年輪から過去750年あまりのモンスーンを復元し、14世紀半ばから15世紀初頭にかけて、数十年規模の干ばつがこの地域を繰り返し襲っていたことを明らかにしました。しかも干ばつの合間には、一転して記録的な豪雨の年が挟まっていました。長い渇きが水路を傷め、突然の激流がとどめを刺す——2018年にはダン・ペニーらがアンコールの水路網をモデル化し、損傷がある閾値を超えると水の流れが特定の水路に集中し、破壊が連鎖して網全体が機能を失うことを示しています。繁栄を支えたインフラそのものが、気候の打撃を増幅する装置に変わっていたのです。15世紀、アンコールは都としての歴史を終えたとされています。
この事例の不気味さは、アンコールに「愚かな選択」の形跡が見当たらないことです。水網への投資は何世代にもわたって正解であり続け、正解だったからこそ拡張され、拡張されたからこそ、やめることも作り直すこともできなくなっていました。成功が深いほど抜け出せなくなるこの罠は、現代の都市にも生きています。経済学者のジル・デュラントンとマシュー・ターナーが2011年に発表した研究によれば、アメリカの都市で高速道路の車線距離を増やすと、自動車の総走行距離はほぼ同じ割合で増え、渋滞の緩和は見込めませんでした。増設された道路が、新しい運転を誘い出すのです。「道路渋滞の基本法則」と呼ばれるこの規則性が知られたあとも拡幅は続き、ヒューストンのケイティ・フリーウェイは側道まで含めて最大26車線に達しています。運転者一人ひとりの選択は合理的で、拡幅には目に見える開通の日があり、渋滞の再来は数年かけて全員に薄く広がる。小さな正解の積み重ねが大きな反復を作るという構図は、千年前の水の都と地続きです。
いま分かっていること、まだ分からないこと
分かってきたのは、都市の反復が「情報が足りない」という型の問題ではない、ということです。記憶はおよそ二世代で薄れると測定されました。しかし記憶が保たれても、便益の構造と制度の構造が変わらなければ反復は止まらないことを、田老と26車線の高速道路が示しています。忘却・便益・制度のどれか一つを原因に選ぶのではなく、絡み合いとして見るのが現在の大方の見方です。
そのうえで、記憶を制度に写し取る試みは始まっています。日本では2019年から、国土地理院が姉吉の碑のような「自然災害伝承碑」を地図記号として地形図に載せ、ハザードマップのポータルサイトからもたどれるようにしました。石碑という一世代かぎりの記憶装置を、地図という制度の記憶に接続する試みです。ただし、地図に載った碑が実際に人の建てる場所を変えるのかどうかは、まだ検証の途上にあります。そして最大の未解決問題は、アンコールの時代から変わっていません。成功の上に築かれた都市が、破局を経ずに自らの構造を作り直した例を、私たちはまだほとんど知らないのです。
姉吉で教えが守られたのは、11世帯の集落だったからかもしれません。数十万人の都市で同じことを試みるとき、何が起きるのかはまだ誰も知りません。あなたが住む土地にも、誰かの選択の履歴が埋まっています。ハザードマップを開いたとき、そこに見えるのは水の深さだけではありません。得をした人、忘れた人、戻るしかなかった人——都市が繰り返してきた選択のいちばん新しい一行に、いま私たちは住んでいるのです。