天気予報の精度は、この40年「10年でおよそ1日」のペースで伸び続けてきました。それでも特定の日の天気を当てられるのは、理論上せいぜい2週間先までと考えられています。ところが同じ科学が、50年後の地球の平均気温についてはかなりの確信をもって語る——このねじれをほどくと、「未来を予測する」という営みの正体が見えてきます。

2週間先は読めないのに、50年後を語れる理由

天気予報は、静かな進歩を続けてきました。物理法則に従って大気の未来を計算機で解く数値予報の精度は、この40年間「10年でおよそ1日」のペースで伸び続けています。いまの6日先の予報は、10年前の5日先の予報と同じくらい当たる、ということです。では、このまま行けばいつか1か月先、1年先の天気も分かるようになるのでしょうか。

気象学者の答えは「ならない」です。観測と計算機がどれだけ進歩しても、特定の日の天気を当てられるのは理論上せいぜい2週間先までと考えられています。ところが同じ気象の科学は、50年後の地球の平均気温についてはかなりの確信をもって語ります。2週間先が読めないのに、50年後は見通せる。この奇妙なねじれをほどいていくと、「未来を予測する」という営みの正体が見えてきます。

立場1: 限界は「まだ」の問題にすぎない

ひとつめの立場は、予測の限界を技術の限界と考えます。データが足りない、モデルが粗い、計算機が遅い。だから外れるのであって、それらが改善すれば予測の地平はまだ伸びる、という見方です。

いちばん強い論拠は実績です。20世紀のはじめ、天気を物理の方程式で計算するという発想は夢物語に近いものでした。それが観測衛星と計算機の登場で現実になり、精度は数十年にわたり、ほぼ一定のペースで向上し続けています。気象学者たちはこれを「静かな革命」と呼びました。派手な一発ではなく、観測・理論・計算力の地道な積み上げが、かつて不可能とされた予測を次々に可能へ変えてきたからです。近年は機械学習を使う予報手法の研究も活発で、この路線の勢いは衰えていません。

立場2: 壁は、世界の側にある

ふたつめの立場は、どれだけ技術が進んでも越えられない壁がある、と考えます。

気象学者エドワード・ローレンツが1960年代に示したように、大気のような系では初期値のごくわずかな誤差が時間とともに急速に膨らみます。のちに「カオス」と呼ばれるこの性質を持つ系では、観測点をいくら増やしても誤差をゼロにはできない以上、いつかは誤差の増幅が予報を飲み込みます。2019年には、現在の観測の誤差を10分の1にできたとしても、中緯度の天気予報が届くのはせいぜい15日先まで、という見積もりも示されました。壁の正確な位置には議論が残りますが、壁があること自体は広く受け入れられています。ここでの限界は予算や工夫の問題ではなく、大気という系そのものの性質だ、という主張です。

立場3: 人間の未来は、予測されると変わる

みっつめの立場は、自然の予測と人間の予測では、難しさの種類が違うと指摘します。大気は予報を聞いて進路を変えたりしませんが、人間は予測を聞いて行動を変えるからです。

社会学者ロバート・K・マートンは1948年、この現象に「自己成就予言」という名前を与えました。健全な銀行でも「あそこは危ないらしい」という噂が広まれば、預金者が引き出しに殺到して本当に破綻しかねない。誤った予測が、予測されたせいで現実になるわけです。逆のパターンもあります。渋滞予測を見た人々が経路を変えれば渋滞は起きず、予測は「外れる」ことで役目を果たします。予測そのものが世界の一部になってしまう系では、当たり外れの意味さえ揺らぐ。社会や経済の予測には、天気にはないこの再帰性の問題がつきまといます。

専門家は、ダーツを投げるチンパンジーに勝てるか

では人間は、実際のところどれくらい未来を読めているのか。これを正面から測った研究があります。

心理学者フィリップ・テトロックは1984年から約20年をかけて、政治や経済の専門家284人に約2万8000件の予測をしてもらい、答え合わせをしました。結果は残酷でした。平均的な専門家の的中ぶりは当てずっぽうと大差なく、テトロック自身の言い方を借りれば「ダーツを投げるチンパンジー」とどっこいだったのです。ただし発見の核心は、平均ではなく内訳にあります。ひとつの大きな理論で何でも説明したがるタイプ——テトロックは「ハリネズミ型」と呼びます——は当てずっぽうを下回ることさえあった一方、雑多な知識を使い分けて自説を修正し続ける「キツネ型」は、はっきりと上回っていました。

話には続きがあります。2011年から米国の情報研究機関IARPAが数年がかりの予測トーナメントを開き、テトロックらが率いる一般参加者のチームが、他の研究チームを圧倒して優勝しました。しかも成績上位の「超予測者」たちは、機密情報を扱える職業の情報分析官より3割ほど正確だったと報告されています。彼らが特別な情報源を持っていたわけではありません。大きな問いを小さな問いに分解する。確率を細かく刻む。新しい情報が入るたびに見積もりを少しだけ更新する。そうした地味な手続きの徹底が、成績を分けていました。未来がどこまで読めるかは、才能や情報量の前に、まず「読み方」の問題だったことになります。

種明かし——どの未来を聞くかで、答えは変わる

冒頭のねじれにも、種明かしがあります。「来月15日の東京の天気」と「50年後の地球の平均気温」は、同じ未来でも問いの種類が違うのです。前者はいまの大気の状態、つまり初期値に敏感な問いで、カオスの壁をまともに受けます。後者は個々の天気をならした平均への問いで、地球のエネルギー収支や温室効果ガスの濃度といった土台の条件でおおむね決まります。IPCC(気候変動に関する政府間パネル)は、あなたが何歳まで生きるかは誰にも予測できないが、集団の平均寿命ならかなり正確に見通せる、というたとえでこの違いを説明しています。気候の物理モデルを築いた真鍋淑郎とクラウス・ハッセルマンに2021年のノーベル物理学賞が贈られたことは、「平均としての未来なら科学で見通せる」という路線の到達点と言えるでしょう。

気象の世界はさらに、問いの立て方そのものを作り変えました。1992年、欧州と米国の予報センターで「アンサンブル予報」の運用が始まります。ひとつの未来を断言するのをやめ、わずかに違う初期値から数十通りの未来を並行して計算し、「降水確率70%」のように確率で語る方式です。未来は予測できるのか——実務の最前線はこの問いに、「どの未来を、どんな形式で聞くかによる」と答えるようになりました。

いま分かっていること、まだ分からないこと

はっきりしてきたのは、予測可能性は一枚岩ではない、ということです。系がどれだけカオス的か。一点の値を聞くのか、平均や確率を聞くのか。対象が予測に反応するのか。この組み合わせしだいで、同じ「未来」でも読める深さがまるで違います。

分からないことも、それぞれの軸に残っています。天気の壁の正確な位置は現在も研究が続いており、今後動く可能性があります。社会や経済のように予測に反応する系については、天気の「2週間」に当たる限界の理論が、そもそもまだありません。超予測者の技能にしても、測られたのは主に比較的短い期間で決着のつく問いであって、10年先の世界にどこまで通用するかは分かっていません。

それでも、この分野の歩みが教えてくれることがひとつあります。予測の科学が進歩したのは、未来を断言する力を磨いたからではなく、断言をやめて確率で語り、外れを測って直し続ける姿勢に切り替えたからでした。未来をいちばん誠実に語る形式は、予言ではなく確率である——さしあたり、これがこの問いに対する人類の暫定解のようです。